Twitterでフォローして頂いている方はご存知のとおり、11日、旅行先の岩手県平泉にて大地震に遭遇し、14日まで一関市にて避難生活をしていた。 ちょうど中尊寺、毛越寺への参拝を終え、東京への帰路の直前、JR東北本線の平泉駅の駅舎でその激しい揺れを感じた。 それからほんの数分後、ちょうど新幹線に乗り換えるための目的駅だった「一ノ関」行きのバスがそのロータリーに入って来た。 地震の規模さえ知らなかったその時点では、まだ新幹線に乗りさえすれば夜には東京には帰れると思いこんでいてそのバスに飛び乗った。 ちょうど小学生の帰宅に重なっていた時間で、多くの小学生もその平泉の駅前からバスに乗っていた。何人かの女の子は泣きじゃくっている。 バスは小さな旧道を通って南下して行く。 おそらくその20分ほどの道のりで、車窓から見えた通りや町の様子に被害の大きさを初めて知って恐ろしくなってくる。 ガラスは割れ、塀や壁は崩れ、屋根は落ち…住民たちは寒い中、表に出て余震に体をふるわせている。 市内に入って大規模な停電を知る。信号は動いていない。 一ノ関駅は封鎖され、今日、明日の電車の運行の目処が立たないことを知らされる。 バスにも長蛇の列だが、その後のバスの運行は未定だという。 その時点から携帯電話は繋がらなくなる。 朝は晴れていた空も重く曇り雪もちらつき始めた。 その夜は駅前のホテルのご好意でベッドで眠らせて頂いた。 翌朝、市の文化センターの避難所にあったテレビを見て、自分が立っているのが、地震で揺れが最も激しかったすぐ北の町だというのを知る。 だがそれよりもさらに恐ろしく甚大だった津波のニュースには目をふさいでしまった。 前日、気仙沼行きのバスを待つ長い人の列を思い出す。 そして自分が直面している事態の大きさにようやく気づき始める。 それから2日、電気も水も携帯電話の電波も復旧しなかった。長い列を作って公衆電話の受話器を取るもいくつかの通話はつながらないままだった。 そんな中でも一軒の果物屋と、一軒のスーバー、そして避難所での配給でなんとか食べるものは調達することが出来た。 こんなときに「パンがなくてお菓子を食べる」生活を強いられる羽目になったのはきっと何かの因果だろう。 震災から2日目に一軒の書店のシャッターが開いた。時間だけはあったから本でも読もうかという気にもなる。僕は一番最初のお客だったようだ。手に取った「神の子どもたちはみな踊る」は読み始めたらすぐに日が暮れた。 毎日、朝陽が昇るのが待ち遠しくて、夕陽が沈んでゆくのが心細かった。 3日目の朝「JRが緊急の東京行きの救済バスと電車を用意する」という知らせが来るまで。 朝8時、バスが出る直前に、どうしてもお礼を言いたかった方の元にまで走って行ったけれど、胸が詰まって自分の言葉がうまく出ないままだった。 その朝、避難所となっていた文化センター周辺だけにようやく電気が通ったようで、唯一その前の交差点に光の灯った信号機を久しぶりに見た。 バスは大きな川を渡って町を抜けてゆく。 僕は自分の帰るはずだった場所に帰るだけなのだけど、同じ地震で被災した者としては、その地から先に抜け出してしまうのが何か気の毒で仕方がなかった。 後ろ髪を引かれる…という表現はきっと間違っているけれど、何かそんな感じの。 本来、東北本線から新幹線に乗り換えるためだけに立ち寄るはずだった町に3泊もお世話になった。 同じ大地震で被災したはずなのに、僕らだけが被害者のような顔して、施しを受けていてたんじゃないだろうか、自分からも何かやることがあったはずなのにと。 なんでいつも僕の後悔は先に立たたないのか。 帰路は山形・酒田、新潟を経由してというもので、バスと電車でちょうど12時間の道程だった。 無事に東京に戻って驚いたのは、意外にも首都圏も大きなダメージを受けていたことであった。 月曜からは当然のよう粛々とケーザイ活動に勤しんでいるのかと思っていたから、その静かさに驚いた。自粛なのか、節約なのか、避難なのか…。 そしてコンビニエンスストアやスーパーの棚の空き具合は、正直、被災地のそれより酷かった。 実は被災した真っ暗なスーパーでは卵も牛乳も売っていたのに都心では何軒回っても卵と牛乳が買えない。 被災地では並ばなくてもトイレットペーパーも売っていた。 某都知事の耳を疑うような発言にはどうしたって賛同できないが、一点「我欲」という言葉だけは言い得ているのかも知れないという気がした。 我欲、エゴ、それは(自分も含め)避難所での生活、震災後の東京の生活、どちらにも嫌な風に顔を出しているのだが、そのどちらがより賤しいかは明白だ。 自分の我欲を洗い落としてくれるのは、外的な何かではなく、自分の内的な気づきでしかないと思うけど。 | photo: sk | 被災地には冷たい雪が降っているという。 今日、広尾では桜が咲いているのを見た。 #
by cherchemidi
| 2011-03-17 05:05
| monologue
| photo: sk | 5 bis, rue de Verneuil Paris VII 古いフィルムが出て来た。 ヴェルヌイユ通りの白い壁の内側、かつてそのサンクチュアリ、5bisの中庭に足を踏み入れた際の記憶。 「くたばれキャベツ野郎」のジャケットの端に写っていたあの像もヒビが入りながらも同じ場所に立っていた。 #
by cherchemidi
| 2011-03-02 13:14
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by cherchemidi
| 2011-02-28 20:45
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monologuephoto à la mode de la musique j'aime le cinema et cetera... Qui est vous, Shoichi Kajino?
140 caractères "maintenant"
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