(vie héroïque)
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先週のことだけど、ゲンスブールの生涯を描いた「GAINSBOURG (vie héroïque)」を観た。


やっぱり彼の生きたサンジェルマンで観ようとParis Scopeを買って劇場を探したが、どうもOdeonじゃあないな…と思っていたら7区の「La Pagodo」でやっていると知り、迷わず直行。バビロン通り、シノワズリーかどうか、東洋趣味の宮殿を改造した一風変わった映画館である。

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以下映画については、“なるべく”ネタバレがないように書くけれど、基本的にネガティヴな評なので、純粋にフラットな気持ちで楽しみたい方はどうぞ読まないでください(少なくとも予告編以外のYouTubeは観ないでください)。

予告編(YouTube)

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まずは僕がその映画のディテールまで理解できるほどのフランス語の語学力がないことをまず最初にお断りしつつ…。それでもひとことで言えば、この映画がまったくよろしくない。少なくとも僕やプレヴューで観た友人のステファン・マネル、僕らゲンスブールのファナティークを自認するものにとってはあらゆる点で「Pas Très Bon」という評価である。



そもそも2時間と少しで彼の波瀾万丈の人生「すべて」を語ろうとするから、それがまず不可能として、それでもその全部を盛り込もうとするもんだから、ヒロイックな人生があまりに散漫に映ってしまう。
これは予告編でもまったく登場しないから意図的に隠しているんだろうけど、彼の生涯を通して登場する「ある登場人物」の存在による脚色がまったく安っぽくて楽しめない。たしかに象徴的な存在ではあるんだろうけれど、あれはいらない。
そして大人になったセルジュ、登場した瞬間に目がいってしまったのは、やはり特殊メイクでかたち作られたセルジュを特徴づけるおおきな「鼻」と「耳」。やっぱりこれは強調しすぎで気になってくる。いや、全体的にセルジュ演じるエリック・エルモスニーノがセルジュを演じきろうという努力は十分に買うんだけど、なんだか全体的に「ものまね」の感が漂ってくるのだ。
あの手の動きとかコピーするのはいいけど、そういう細かいものまねばかり気になってくる。衣装もそうで、セルジュの着ていた衣装をコピーしているんだけど、着こなしが全然違うから本当にコピーでしかない。特に70年代に入ってレゲエ期くらいから以降の恰幅の良いセルジュを演じるには、彼は少々無理がある。なにもその役作りのためにあそこまで太れとは言わないけども(まあ、俺はああなりたくて太ったけどね)、衣装がまったくそのままだから逆に「ものまね」の感が強く漂ってくるのだ。(YouTube)
そう、後半、セルジュがヴェルヌイユ通りに移ってからというのが、全体的にそういう余計なことばかりが気になってしまって、あまり映画自体に集中できなくなってくる。

亡くなってしまった女優さんを責めるのもなんだけど、ジェーン・バーキンを演じたルーシー・ゴードンも、うわずった声はいいけど、やっぱり「僕らの知っている」ジェーン・バーキンじゃあないのだ。(YouTube)
幼少のシャルロットはまあ笑えたけど、本人の「観たくない」気持ちもよく分かる。
彼の人生を俯瞰してみたとき、やっぱりこのジェーンとの出会いから、二人のまったりした愛の日々、そして離別というのが彼のパッションとデカダンスの頂点であるように思うんだけれど、どうもそうは見えてこなかった。ああ「メロディ・ネルソン」の誕生も…。

その原因は明快で、バルドーを演じるレティシア・カスタがどうにもよすぎるのだ。(YouTube) その時期は60年代だから、ぎりぎりその「ものまね」感も薄いからだろうか。カスタのバルドー風の鼻にかかって舌足らずな話し方は絶妙だったし、"Je t'aime, moi non plus "が生まれてくる瞬間は軽く身震いしそうだった。
そんなわけで、観終わって考えてみて、映画のピーク、引いてはセルジュの人生のピークというのが、このバルドー期にあったように映ってしまった(え、実際そうだったのかな?)。
それからこの映画では主に音楽家として側面からセルジュの経歴を追っている印象を受ける。例えば彼の監督した映画「ジュテーム」については触れられないままだったし、有名なテレヴィでの500フランを燃やす事件や、ホイットニー・ヒューストンに絡んだスキャンダルなんかも語られないまま(まあ要らないか…とも思ったけどあの高額オークションのシーンは再現されたいたしな)。

セルジュを見い出すボリス・ヴィアン。フィリップ・カトリーヌ演じるそれはまあ全然似てはいないけど、その時代をはるか昔としか捉えられない自分の世代にとっては、その「Je Vois」のかけあいでつなぐ「Je vois」と「lntoxicated man」の“Back to Back”が面白かった。(YouTube)

それからセルジュのピアノを弾く手を演じたゴンザレスも別のシーンで一瞬カメオ出演するからお見逃しなく。アナ・ムグラリス演じるグレコの「ジャバネーズ」、フランス・ギャルの「ベイビー・ポップ」、それからジャック4兄弟の「リラの門の切符売り」…。
どちらにしても映画を十分に楽しむにはセルジュの言動や作品、ひいては彼の生きた時代のフランスの芸能界にもある程度の予備知識があったほうがよさそうだけれど、逆に本人や彼にまつわる映像なんかを観て知ってるファンにとっては、この映画で描かれる断片では物足りない(あるいは納得できない)。そういう意味でも中途半端な印象さえ受けた。

とはいえ、セルジュの人生をスクリーンで追っていると、あっという間の2時間10分。あくびをする間もなくすぐにエンディングを迎えてしまった。


一生を全部描くなんてことを最初から放棄して、愛にあふれた人生を強調して「ジャヴァネーズ」か、破天荒な生き様をハードボイルドに描いて「馬鹿者のためのレクイエム」がエンドロールで流れてきたら、きっと観終わってしばらく席を立てなくなっていただろうな…。

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観終わった直後の感想としてTwitterで「ヴェルヌイユ通り5bis の真っ白な壁だけが素晴らしかった」と書いたんだけど、敬愛するセルジュ・ゲンスブールの伝記映画にこんなにまで辛口な評を書きたくなってしまうのは、あまりに彼が死んでから間もなくて(とはいえもう20年弱…)、たくさんの映像やイメージが身近にありすぎるからだろう。DVDでも出ているそれらの当時の実際の映像に、決して作りものの伝記が勝ることはないから。あるいは、もはや神のような存在のセルジュを軽々しい脚色とともに偶像化しないでほしいという想いだけかもしれない。
(事実、セルジュにそれほどの思い入れのない女性の口からは「Pas Mal、楽しめたけど…」と)

そう、彼自身もセルジュの一ファンである監督、ジョアン・スファーの視点でのセルジュの解釈として、十分に距離を置いてみた方が良かったのかもしれない。

振り返ってみて、素晴らしすぎたエディット・ピアフのあの伝記映画に端を発して、その後フランソワーズ・サガン、ココ・シャネルと続いてきたフランスの伝説を扱った伝記映画、それらとはまったく意味あいの違う映画のように感じた。



こんな酷評を書きながらも、僕はこの映画の登場であらためて「セルジュ・ゲンスブール」その人に再びスポットが当てられたことをうれしく思うし、国民的な有名人であったその人を、あそこまで独自のイマジネーションをいれて脚色する監督の勇気はちゃんと認めておきたい。
この映画の日本でのディストリビューションはまだ決まってないそうだけど、きっと今年の春の「フランス映画祭」では、日本のスクリーンで観れるのだろうと希望的観測を抱いている。
もちろんもう一度、日本語の字幕付で再度見直したいと思っている。


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by cherchemidi | 2010-02-02 00:39 | j'aime le cinema
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par 梶野彰一
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