カテゴリ:monologue( 49 )
avril en vain me voue à l'amour
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「ああ、虚しい4月に、僕はこの愛を捧げよう」
先日来日していたジェーン・バーキンが繰り返し歌った「ラ・ジャヴァネーズ」の詩の中にこう歌う一節がある。「AVRIL EN VAIN」。虚しい4月。


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とても気持ちのよい陽気のもとで桜を眺めたり、お酒を飲んだり、いつもの4月を送っているようで、何かが全然違う。映画を観て、音楽を聴いて、写真を撮って、フレンチ・ジョークで笑ったり。飛行機に乗ったり、いち早くはだしでエスパドリーユを履いたり、思い立って京都にも桜を見に行ったけれど。
ありふれた言い方を許してもらうなら「いつもと同じ風景が、まったく違って見える」みたいに。

かねてより自分はストレス耐性がきっと平均より低いんだろうと思っていたけど、メルド、それが実証されていくような日々だ。

ジェーン・バーキンはこの40年で初めて桜の季節に来日し、その桜を愛でる一方、日本を襲った惨事を憂い、自然のパラドックスを語ってくれた。

「言葉は要らなくなり、詩人の役割はなくなる。/多くの人が、詩そのものになって、きらきらと生きる。」と言っている人もいたけれど(※)、まだ今の僕には言葉も詩も必要だと思う。僕は詩のようにきらきら生きられないから。

「ああ、虚しい4月」
こんなかたちでセルジュの「ラ・ジャヴァネーズ」を聴く春なんて。

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by cherchemidi | 2011-04-17 14:38 | monologue
ki ko to wa

アトリエに戻っても机の上も本棚も散乱し、何から手をつけていいのか分からない状態だった。
一連の避難と帰宅による疲労というのは、やはり単なる言い訳かもしれないけれど、こんな時期なので、なんとなくいろんな仕事が停滞気味である。
パリ、ニュー・ヨーク、マルメ…まだ返事をしていないままの友人からの気遣いのメールも残っている。

三連休を合わせて計画していた、松山=広島=福岡=熊本の旅行も直前まで迷っていたけど、結局すべてフライトをキャンセルしてしまった。行こうと思っていた小さな映画館からは休館のメールが来ていた。
情報は欲しいけれど、テレヴィで繰り返される悲惨なニュースと「ぽぽぽ〜ん」のプロパガンダにもやや辟易する。
普段から積みっぱなしの本を手に取るにはいいタイミングかも知れない。

それとも文字を追いたくなったのは、月が大きくて眠れなかったせいか。
(あんなに短いのにも関わらず)ずっと読みかけだった朝吹真理子の「きことわ」を読み終えた。
日本の純文学めいたものはほとんど手に取らないけれど、彼女の可憐な様とそのヴェリー・フレンチなプロフィール(サガンの訳で知られる朝吹登水子さんを大叔母さまに持ち…など)を知ってどんな作品か興味を持っていた。
芥川賞の前のドゥ・マゴ文学賞の「流跡」から。

「きことわ」は冒頭から流麗で不思議な魅力にあふれた小説に引き込まれた。ひらがなや漢字の使い分けや、精緻なことばえらびが、まるで色を選んで水で滲ませていく水彩絵の具で描かれた絵を見ているような感覚で話が広がっていく。絵画的ではあるけれど、平面的ではなくて現実と幻想と夢と、時間軸や空間が入り交じって、あらすじや話ではないぼあっとした圧倒的空気を受け取ったような読書だった。
葉山のバスや逗子からの湘南新宿ライン、サントリーホール、Bunkamuraのドゥ・マゴ…そして極めつけにマニュエル・ゴッチングの「E2-E4」のレコード盤が出てくるなど、なにかと心をくすぐってくれた。

読書に逃避し、アトリエは片付かない。
月の明るい夜は過ぎ去って、生温い春の雨が降っている。

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by cherchemidi | 2011-03-21 12:19 | monologue
la catastrophe...
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Twitterでフォローして頂いている方はご存知のとおり、11日、旅行先の岩手県平泉にて大地震に遭遇し、14日まで一関市にて避難生活をしていた。

ちょうど中尊寺、毛越寺への参拝を終え、東京への帰路の直前、JR東北本線の平泉駅の駅舎でその激しい揺れを感じた。

それからほんの数分後、ちょうど新幹線に乗り換えるための目的駅だった「一ノ関」行きのバスがそのロータリーに入って来た。
地震の規模さえ知らなかったその時点では、まだ新幹線に乗りさえすれば夜には東京には帰れると思いこんでいてそのバスに飛び乗った。
ちょうど小学生の帰宅に重なっていた時間で、多くの小学生もその平泉の駅前からバスに乗っていた。何人かの女の子は泣きじゃくっている。

バスは小さな旧道を通って南下して行く。
おそらくその20分ほどの道のりで、車窓から見えた通りや町の様子に被害の大きさを初めて知って恐ろしくなってくる。
ガラスは割れ、塀や壁は崩れ、屋根は落ち…住民たちは寒い中、表に出て余震に体をふるわせている。
市内に入って大規模な停電を知る。信号は動いていない。

一ノ関駅は封鎖され、今日、明日の電車の運行の目処が立たないことを知らされる。
バスにも長蛇の列だが、その後のバスの運行は未定だという。
その時点から携帯電話は繋がらなくなる。
朝は晴れていた空も重く曇り雪もちらつき始めた。

その夜は駅前のホテルのご好意でベッドで眠らせて頂いた。
翌朝、市の文化センターの避難所にあったテレビを見て、自分が立っているのが、地震で揺れが最も激しかったすぐ北の町だというのを知る。
だがそれよりもさらに恐ろしく甚大だった津波のニュースには目をふさいでしまった。
前日、気仙沼行きのバスを待つ長い人の列を思い出す。
そして自分が直面している事態の大きさにようやく気づき始める。

それから2日、電気も水も携帯電話の電波も復旧しなかった。長い列を作って公衆電話の受話器を取るもいくつかの通話はつながらないままだった。
そんな中でも一軒の果物屋と、一軒のスーバー、そして避難所での配給でなんとか食べるものは調達することが出来た。
こんなときに「パンがなくてお菓子を食べる」生活を強いられる羽目になったのはきっと何かの因果だろう。

震災から2日目に一軒の書店のシャッターが開いた。時間だけはあったから本でも読もうかという気にもなる。僕は一番最初のお客だったようだ。手に取った「神の子どもたちはみな踊る」は読み始めたらすぐに日が暮れた。
毎日、朝陽が昇るのが待ち遠しくて、夕陽が沈んでゆくのが心細かった。

3日目の朝「JRが緊急の東京行きの救済バスと電車を用意する」という知らせが来るまで。

朝8時、バスが出る直前に、どうしてもお礼を言いたかった方の元にまで走って行ったけれど、胸が詰まって自分の言葉がうまく出ないままだった。
その朝、避難所となっていた文化センター周辺だけにようやく電気が通ったようで、唯一その前の交差点に光の灯った信号機を久しぶりに見た。

バスは大きな川を渡って町を抜けてゆく。
僕は自分の帰るはずだった場所に帰るだけなのだけど、同じ地震で被災した者としては、その地から先に抜け出してしまうのが何か気の毒で仕方がなかった。
後ろ髪を引かれる…という表現はきっと間違っているけれど、何かそんな感じの。
本来、東北本線から新幹線に乗り換えるためだけに立ち寄るはずだった町に3泊もお世話になった。
同じ大地震で被災したはずなのに、僕らだけが被害者のような顔して、施しを受けていてたんじゃないだろうか、自分からも何かやることがあったはずなのにと。
なんでいつも僕の後悔は先に立たたないのか。

帰路は山形・酒田、新潟を経由してというもので、バスと電車でちょうど12時間の道程だった。

無事に東京に戻って驚いたのは、意外にも首都圏も大きなダメージを受けていたことであった。
月曜からは当然のよう粛々とケーザイ活動に勤しんでいるのかと思っていたから、その静かさに驚いた。自粛なのか、節約なのか、避難なのか…。
そしてコンビニエンスストアやスーパーの棚の空き具合は、正直、被災地のそれより酷かった。
実は被災した真っ暗なスーパーでは卵も牛乳も売っていたのに都心では何軒回っても卵と牛乳が買えない。
被災地では並ばなくてもトイレットペーパーも売っていた。

某都知事の耳を疑うような発言にはどうしたって賛同できないが、一点「我欲」という言葉だけは言い得ているのかも知れないという気がした。
我欲、エゴ、それは(自分も含め)避難所での生活、震災後の東京の生活、どちらにも嫌な風に顔を出しているのだが、そのどちらがより賤しいかは明白だ。
自分の我欲を洗い落としてくれるのは、外的な何かではなく、自分の内的な気づきでしかないと思うけど。

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被災地には冷たい雪が降っているという。
今日、広尾では桜が咲いているのを見た。
by cherchemidi | 2011-03-17 05:05 | monologue
La Neige de Paris
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コメディ・フランセーズ前のカフェでブランコとクリスチャン、そしてワグナー家のアントワーヌ(春には一緒に直島にも行った)とノエル前にランデヴーした。朝には晴れていたのに、カフェを出ると雪がちらつき始めた。

サントノレを突き切って、来年のアジェンダを買いにエルメスへ…と思ったが、途中寄り道していたら着く頃には結構な雪が舞っていた。

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ノエルの直前のパリは、みんながプレゼント選びとヴァカンス前のショッピングに慌ただしくて、普段とは違った活気にあふれていて面白い。エルメスの店内もこの時期ばかりは世界中からの観光客に負けないくらいにパリジャン、パリジェンヌであふれている(ような気がする)。

さてコンコルドからメトロに乗って帰ろうと思ってコンコルド広場に出ると、そこには雪の中で白く輝いている観覧車が回っている。夏のチュイルリー公園の観覧車は知ってるが、冬にはコンコルド広場にあったっけ? そんなことを考えて横から吹き付ける雪に体温を奪われつつも、僕の足は知らず知らずその観覧車に近づいて、次の瞬間には乗車券を買い求めていた(10ユーロ、結構するね)。
こんな雪にまみれたパリを、シャンゼリゼを、真上から眺めてみたい、そんな気持ちに抗うことは出来なかったのである。

パリの冬は暗くて寒いけれど、例年ならこんなに頻繁に雪が降ったり積もったりすることはないような気がする。なんでも先日の大雪は23年ぶりの大雪だったんだとか。
そんなパリを目の前に、僕は寒さのことも忘れて、かなり高揚しながらシャッターを切っていた。カメラにはあまり感度の高くないフィルムしか入っていなかったから、その目の下の素晴らしい景色をうまく捉えきれているとは思わないけど、その観覧車が2周する間に僕は雪に降られるチュイルリーを、シャンゼリゼを、遠くにかすむエッフェル塔を存分に満喫した。

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本当ならその真っ白に覆われたチュイルリーを歩き、橋を渡って、歩いてサンジェルマンまで帰りたくなったくらいだけど、その夜はディナーの約束があったからメトロに乗った。不思議なことにSèvres-Babyloneでメトロを降りたときにはすっかり雪はやんでしまっていて、ほんの少し前のコンコルドの景色がにわかには信じられなくなったほどだ。ただ足の底から冷やしてくる、あのパリの冬の石畳の感触だけはまだ僕の足の裏にあった。

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by cherchemidi | 2010-12-25 00:26 | monologue
South Ferry
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NYに行ったら「自由の女神」を観なくては…というのは半ば強迫観念のように頭にこびりついていた。
そして出来ることなら船に乗って甲板から海の向こうにマンハッタンを眺めてみたいとも思っていた。
これは僕のトラウマ・フィルムともいえるジャームッシュの『パーマネント・バケーション』のせいだ。
ご覧になった方ならご存知の通り(この後観られる方、以下、ネタ書いてます)、最後、主人公の彼はNYを去って“君のバビロン”となるだろうパリに向かうわけである。
NYに発つ数時間前、パッキングが終わってから成田に向かう前にこの『パーマネント・バケーション』のDVDを観た。果たして若き時代の僕はこの言葉の影響でパリにバビロンを求めてしまったのだろうか?

ともかく僕が短いNY滞在でようやくマンハッタンの南の端の港(確かあの主人公はブルックリンの港からNYを去るのだが…)にまでたどり着けたのは最終日の午後だった。
その日PHOENIXのサウンドチェックの直前で、船に乗る時間も、ゆっくり自由の女神を拝む時間もなかったので、対岸から写真を数枚撮っただけであった。
そもそも自由の女神像が、島にあるなんていうのはほんの少し前にガイドブックを読んで知ったばかりだった。
そういえばパリの自由の女神もセーヌの浮き島に立っているな…。

今やNYを最も象徴するような女神像だが、フランスかぶれのみなさんならご存知の通り、あれはフランスが独立100周年の記念に贈ったもので、モデルはフランスを象徴する女神マリアンヌである。
皮肉な親仏家のクリシェとしては「アメリカには自由はない。アメリカの自由なんてフランスが贈ったものだ」なんてのもある。

そのクリシェはさておいたとしても、9.11以降のアメリカを見ているとその「リバティ」という言葉に厚みが感じられない気がしている。
by cherchemidi | 2010-10-27 17:18 | monologue
je m'appelle patrick, mais on dit bob
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ちょうど一年前、39歳を迎えた僕をずっしり重い気持ちにさせたのは、決して30代最後とかのセンチメンタルな問題じゃなかった。
かねてより心の拠り所である導師、ボリス・ヴィアンの享年は39歳であって、自分がその歳を迎える自信がないことへの不安だった。
僕のことを若い頃からフォローしていると嘯く(かつての)若者に去年の誕生日の後に指摘された。
「梶野さんは、むかしからよく『39歳で死ぬ』と言ってましたよ」と。
はは…、そのくらいの覚悟で生き急いでたのだろうか…、こう書いてるだけでも恥ずかしくなるよ。

たくさんの肩書きや形容詞やらがないと説明できないような僕のパーソナリティとアイデンティティは、今に始まったことではないし、果たしてその影響だったのかどうかも定かではないけど、その文章においても、その存在感においてもヴィアンの存在の大きさは計り知れないのである。
「うたかたの日々」はそのまま僕の人生の消えてしまいそうな日々のようであり、最も好きな小説である「北京の秋」を読み返しては、いかに「まっすぐでない」ことこそ大切かを思い返す。
そして僕がサンジェルマン・デプレを徘徊するのは、フェニックスより以前に、ゲンスブールより以前にヴィアンのせいだ(結局その地下に見つけたのはタブーじゃなくてモンタナ)。

まもなく40代を迎え、歳を重ねるのはむしろ楽しみなのだけれど、どうしても悔やまれるのは、今の中途半端なままの自分で、そのヴィアンの享年を越えてしまうことだ。
いまクリアしてるとしたら「je m'appelle shoichi, mais on dit coco」ってことくらいだ。
ああ、だってこの先、「その次となると62歳まで猶予があるな…」、なんてますます自分を甘やかしてしまうだけじゃないか。
by cherchemidi | 2010-08-04 22:15 | monologue
l'été de Paris, de 1990 à 2010
2010年、夏のパリ。
1990年、夏のパリ。

この季節のパリに特別な想いがあるのは、他でもなくはじめてこの街を訪れたのがこの季節であったからに違いない。
今よりひとまわり大きかったサイズの、僕にとっての初めてのパスポートを見直して発覚したのだけど、正確に僕が初めてこのパリの地を踏んだのは19歳最後の瞬間、1990年の7月だった。さらには20歳の誕生日であった8月のその日に、パリを発ってカレイの港からドーバー海峡を渡ってロンドンへと向かっていることが判明した。果たしてそれがどのくらいまで計画的であったかどうか今となっては思い出せないのだけど、僕はパリとロンドンを結ぶドーバーの船の上で寝ぼけ眼のまま20代最初のバースデイを迎えたというわけである。

さて、その初めてのパリでいまだ印象深かく記憶に残っているシーンがいくつかある。まずはシャルル・ドゴール空港に降り立ったときの眩しく強い夏の夕暮れの光。そしてルーヴルの前に立ち、チュイルリー公園、コンコルドから凱旋門までまっすぐ一直線にのびたシャンゼリゼを見た時の感動。そそれから、グランパレの脇を歩いてたどり着いたアレクサンドルIII世橋やセーヌ川は今よりずいぶん大きく見えたように覚えている。

実はその旅は、当時の憧れの地であったロンドンへの旅のついでに、せっかくならパリにも立ち寄ってみては…と、誘ってくれた大学の仏文科の友人の計画によるものだったのだが、僕は初めて踏んだ異国の地となったこの美しいパリで、まんまとその虜になってしまったという訳である。そんなわけだから、この旅に僕を連れ出してくれたその友人には今でも強く感謝している。

もちろん当時、ゴダールやらカラックスによって予備知識としてのパリへのあこがれはすでに植え付けられた後ではあったものの、果たしてそんな「あいまいなあこがれ」だけでパリを訪れた当時の僕に対して、「本物の」パリはあまりにも美しくあまりにも甘美であった。

20年前、当時の僕には、その後に自分がこの街で仕事をするようになるとも、この街に(東京より)たくさんの友人が出来るとも想像もできなかっただろう。もちろん。
パリは得てして他所からの訪問者には冷たいけれど、その愛が届けば、時に偶然とは思えないような奇跡を見せてくれることだってある。
やわらかくつながってきたたくさんの人々との出会いや、この街がときどき見せてくれた数々の奇跡に感謝しながら、そんな想いで、2010年、僕はこの街の夏を歩いている。


le 14 juillet 2010 
by cherchemidi | 2010-07-14 06:59 | monologue
Mon 20ème été à Paris.
「パリ、僕の20年目の夏」

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僕にとっての20年目となるパリの夏。毎日が暑い。
19歳の時に初めて訪れたこの街は、20年経ったいまでも僕を魅了してやまないでいる。
多くのものが変わってしまったようにも感じるし、多くのものが何も変わらないままでそこにあるような気もする。この街にあふれる魅力は何度訪れても何も変わらないし、僕はいまだセーヌを渡るたびに得も言われぬ高揚感に襲われる。
よく「これまでいったい何度パリに行ったの(来たの)?」といったことを聞かれるのだけど、正直なところこれまでのパスポートを見ても数えらきれないし分からない。(なんといっても最近までフランスの税関って入国/出国のスタンプ押してくれなかったからね…)

なにより、そんな大切な今年の夏は、長い時間をこの街で過ごせる機会があってとてもうれしく思う。

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by cherchemidi | 2010-07-04 19:08 | monologue
le petite livre rouge
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——上海と小さな赤い本をめぐる回想

今回の旅で、特に「MADE IN CHINA」の何かを買って帰りたいという欲求はなかったのだけど、どうしても手に入れたかったのはあの「小さな赤い本」=毛主席語録である。

何を隠そう中華人民共和国の赤い旗の下、僕の頭でリピートしていたのはClaude Channesの歌う「Mao Mao」。他でもないゴダールの「LA CHINOISE(中国女)」のタイトルトラックだ。
なかでも少女のか細い声で歌われる

C'est le petite livre rouge
Qui fait que tout enfin bouge

(いよいよ全てを動かし始めたのは その小さな赤い本であった)

というくだりが頭にこびりついている。
(YouTube)

好きなのはなにもその歌だけではなく、ゴダールの「赤」にこだわった「中国女」全てを、ほとんど盲目的に好きなのだ。
もちろん、その映画を初めて観たときから、一度だってちゃんと毛沢東語録を読んだことはなかったし、さらに67年に公開されたその「赤」の映画が、果たしてどれほど68年の5月のパリを予見していたのか?それさえ未だ分からないままなのであるが。

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どこに行けばその赤い本は見つかるんだろうと、旅の間、漠然と思っていたのだけど、最終日の午前中にLV社御一行様(なんともその中心はヴィトン家5代目、パトリック・ルイ・ヴィトン氏であった!)に同行して連れて行ってもらった骨董街のあちらこちらでその赤い本を見つけることが出来たのだ。中国語やロシア語だけでなく、英語から日本語まで世界各国の言葉のエディションがある。

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本来ならまとめて50冊でも100冊でも、トランクに入りきるだけの「赤い小さな本(フランス語版)」を買って、我がアトリエの白い本棚をその小さな赤い本で満たしたかったのだけれど、そもそもフランス語版を見つけるのは、容易くはなく、結局1冊だけをトランクに入れて持ち帰ることにした。
小さいながらも偉大な毛沢東思想の詰まったその赤い本を、フランス経由、あるいはヌーヴェル・ヴァーグ経由で「赤」という色だけに変換してしまうのは、本来のこの本の使用目的ではないにせよ、僕の回路では至極当然であった。

そもそもなぜ共産主義や社会主義は「赤」で象徴されるのか、それもググってwikiって調べたら、なんともその起源はフランス革命に端を発していたという事実も知ることが出来た。

ある午後、次の予定まで2時間ぽっかり時間が出来たからと、地図も持たないままの散策でさまよった挙げ句、最後に到達してしまったのは「中国労働組合書記部旧址陳列館」。もちろんその天には翻る赤い旗があったときには何らかの必然を感じてしまった。

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2010年、いまやこの「小さな赤い本」で再び世界は逆さに動きだす…とは思えないのだけれど、1968年のフランス経由でずいぶん左に偏った中国観をもった僕の本棚にはなかなかしっくり収まった。

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by cherchemidi | 2010-05-08 02:05 | monologue
Shanghai Rhapsody
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上海。
万博開幕直前に沸くその街にLouis Vuittonの大型店が2店舗同時にオープン、さらには万博会場のフランス館でもLouis Vuittonによるプレゼンテーションが大々的に行われるということで、HF氏、鈴木編集長とともに記録係としてご招待頂いた(その記事は近々ハニカムで)。

当然ながら、僕にとって中国本土の地を踏むのは初めてである。
その最初の機会が万博開幕直前の上海、それもフランスのブランドからのご招待というのは、とても幸運である(なにしろあの広い万博会場で、唯一我がフランス館にだけ行けばよいというのであるから)。
Grand Merci pour LV!!!

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到着直後の万博会場のプレス・ツアーからはじまって、思った以上に多くのイベントが詰まっており、有り難いことにトランスポートまで全て手配してくれていた。
そんなわけで実際に町を歩いて見る時間は限られていたのだけれど、上海で最も高いビルの高層階にあるリュックスなホテルを用意して頂いていたおかげで、毎朝、早朝になると遮るもののない角度で朝日が差し込んで否応なく目を覚まさせてくれる。
6時に起床、集合時間までのたっぷり朝の時間を、カメラを片手に散策に充てることが出来た。

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とりあえずはホテルの部屋からだとガスに霞んで見える下界へ降りて、アリンコのような歩幅で地下鉄の駅らしき方向を目指し、なんとか切符を買いながら地下鉄に乗りこみ、いくつか先の駅で当てずっぽうに降りてみる。「人民広場」、いかにも町の中心のような駅名じゃないか。

町に出てとにかく感じたのは埃っぽい空気だ。
スモッグのようなガスなのか、至る所で行われている工事でまき散らされる埃なのか、はたまた黄砂なのか、とにかく埃っぽい。
地上87階のホテルのラウンジからは、晴れた日でさえ下の方がぼんやり霧がかかったように見える。

それから「人が多い」という月並みな印象は、東京から来た者にとっては正直それほどの驚きではなかったけれど、その人がなんだかパワフルである。話し声の大きさや身振り手振り、信号は守らないで突進して来るわ、列を作れないで突進して来るわ、一人一人というよりも、団体としての「民力」のようなものがすごくてそのパワーに圧倒されそうになる。
まだまだ市民が「シビライズド」されていないというのは、なんとも上からの目線の感想ではあるけれど、数日過ごしているだけで、やっぱりそう感じないではいられない場面に何度も遭遇する。


ただしその違いこそ、僕が今回の上海を楽しく見れた一番のポイントである。
誰が決めることか知らないけれど「インターナショナル・スタンダード」というものがあって、それに照準を合わせてグローバルに「シビライズド」されてしまった中国の市民の歩く町を見ても、きっと何も面白くないだろう。


とはいえ、今の上海は全くの世界と肩を並べる資本主義都市である。
ものごとは全てお金で動いていて、実際(本物の)Louis Vuittonのバッグも本物の値段でバンバン売れている。
この世界の状況にあっては、逆にその消費の勢いの方が不自然な感覚さえ覚える。(一方で僕が上海で使ったお金は1万円以下であった)
マクドナルドのハンバーガーの味を教えられ、スターバックスをショートだのトールだの注文している。PAULのサンドイッチも買える。
H&MもZARAもユニクロも軒を揃えてMADE IN どこかの洋服を売っている。やっぱり世界は強引にもフラットに押し広げられている。
現代の中華人民共和国の共産主義って何なんだ? 国家が統制する資本主義って何なんだ? そういうことが頭の片隅で気になりながら、赤い旗の下で何日かを過ごした。

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そんなフラットな町の様子の反面、噂には聞いていたが、実際に中国では「Facebook」にも「Twitter」にもアクセスできなかった。さらにあろうことか、僕のこのblogにもアクセスが出来なかったのである(もちろんずいぶん偏ったレイシスト的思想と趣味で綴られたログだから仕方ないのだが…)。
おかげで、というわけではないけれど、ずいぶん「オフ」の状態に慣れて、あるいは「オン」に戻るきっかけさえ失ってしまいそうになっていた。
blogもしばらく書かないと、なかなか書きだすきっかけが持てないし、Twitterも何をどうコミュニケートしていいもんだっけと、口を閉ざしたままになってしまったわけだ。

(というわけで少々のエクスキューズとともに、上海の日々…つづく)






(おやつ)
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by cherchemidi | 2010-05-07 03:07 | monologue



par 梶野彰一
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