HOW TO WRITE HIT SONG
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| magic 2000 JUIN | PHOENIX |

「HOW TO WRITE HIT SONG」…
フェニックスがヴェルサイユのベースメントでこの本を読んでいたのは2000年。
はたして「IF I EVER FEEL BETTER」が、「TOO YOUNG」が、「VICTIM OF THE CRIME」が、「EVERYTHING IS EVERYTHING」が、そして「LONG DISTANCE CALL」が生まれたのは、決して、この本のおかげではないのだろうが…。

アトリエに貼ってあるこの色あせたポスターは2000年の6月、フェニックスの登場を華々しく紹介したフランスの音楽誌「magic」のもの。
ロック・バンドのポスターを部屋に貼るという、いかにもティーンネージャーでガーリィな行動を35歳の男にとらせてしまっている、このバンドの魅力については…(以下省略)。
このチャーミングな写真を撮ったDSKくんは当時パリに住んでいた日本人フォトグラファーで、なぜか新津保建秀さんの紹介で、存在は知りながらも、結局、知り合ったのは東京だった。

そういえば、COOKIE SCENEという真面目な(笑)音楽誌で、フェニックスとその周辺…、ダフト・パンク以降のパリの音楽についてという(もう50回くらい同じことばかり書いてる…)原稿を書いた(&さらには、タイトル・見出しはまたもや「パリは燃えているか?」のような使い古されたものであったが、それは決して僕の言葉ではないのでご了承を)。

ーーー<以下COOKIE SCENEより一部抜粋>ーーー
フェニックスがいかに「パリ」なバンドか、これを直感的に分からない人に説明するのはとても困難だ。この国のジャーナリズムやショップ、そしてCDのライナーノーツさえも、デビュー以来こぞってタヒチ80と並べたててこのパリジャン・バンドを紹介してきたし、これは最も安直に陥る間違いであったことにさえいまだに気付かないでいるのだから…絶望的だ。
西海岸の80年代のバンドのようでもあり、イギリスのギター・ポップ・バンドのようでもある彼らのセンスが、いかにパリなのか…、例えばその感覚を言葉でこのスペースで説明するのはきっぱり諦めさせて頂くとして(以下省略…)
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で、Darlin'に始まって、結局JUSTICEとPONI HOAXを絶賛する感じ。であった…。

2006年の春、僕は、いまだ、あの頃のヴェルサイユを回想しているのである。
by cherchemidi | 2006-05-19 02:22 | de la musique
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par 梶野彰一
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