n'importe quoi
ながらくの忙殺スケジュールとTwitterのつぶやきで、blogを更新できなていなかったけれど、パリに向かう飛行機でいろいろ考えたこと。ヴェルヌイユ通りとバック通りの角からアップしておきます。

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ジェーン・バーキンの「Quoi」という曲を初めて耳にしたのは、80年代、当時のテレヴィのコマーシャルだったという記憶がある。
以前にYouTubeで検索した際には残念ながらそのコマーシャルを見つけられることは出来なかったんだけれど(今見たらここにあった)、確か日曜の夜8時に久米宏さんが司会をしていた番組の提供の信販会社だったかのコマーシャル・フィルムで、(ちょっと不気味な)マリオネットが映る画面とともに流れるその曲を耳にしてえも言われぬアンニュイな気持ちが幼少の僕に刷り込まれたことを思い出す。
恐ろしいのは今でもその「Quoi」を聴くとその映像が浮かぶことである。
たとえパリにいてその曲がラジオから流れてきても、いや、本人がコンサートで生でその歌を歌っているときにさえである。

パリに向かう機上、iPodから流れてきた「Quoi」を聴いていて、昨年の来日公演で彼女がステージの階段を下りてきて観客の間をぬうように歩きながら歌う姿を思い出した。
その曲は「Yesterday Yes A Day」だったけれど。
そんな演出は東京での二夜ともに同じだったにもかかわらず(そして二夜とも同じ席に座っていたにもかかわらず)、どうしても自分のすぐ目の前にまで来て歌う彼女を目にあふれる涙を押さえきれなくなってしまった。

たしか先週、日曜の夕方、表参道。日本在住のビルマの方々がアンサンスーチーさんのパネルとともに母国の酷い状況をアピールする行進に出くわした。それを見ても何も出来ない不甲斐ない自分を再認識させられながら、またジェーン・バーキンのことを思い出したという次第。








先週火曜日の朝、Le Mondeからの自動配信される速報で知ったのは「映画監督のエリック・ロメール氏死去」のニュースだった。
昨年日本で公開された『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』(Amazon)は、彼の「これを最後に私は映画を撮ることを止めようと思う」という言葉通り本当に最後の作品になってしまったわけだ。
(引退してすぐに亡くなってしまった、ということの次第はすぐにサルヴァドールじいさんのことを思い出させた)

ロメールのこの言葉を知ったのは、昨年の春、土曜の朝に突然電話を頂いて、「今から、うちに遊びにおいで。ご飯を作るから」と誘ってくれたフランスかぶれの大先輩、浜田比左志さんによってである。
浜田さんはその映画を観ながら泣いてしまうほど感動したというから、そんな話を聞いてさっそくその上映が終わってしまう直前の平日の朝に銀座にまでそれを観に行ったのである。
僕にとってスクリーンで観たその遺作は、泣くどころか明らかにおかしな設定のおかげでむしろ笑いそうになってしまう映画だったし、スクリーンの前でうとうとしてしまったのも事実だ。
誤解を与えないように書いておくと、ロメールの『クレールの膝』『緑の光線』は今でも好きな映画の「ベスト50」を挙げるならに必ず入るであろう大好きな監督だ。
本当にそれが遺作になってしまった今となっては、映画館でそんなロメール監督の遺作を観ることが出来たのはよかったと思うのだけれど、その訃報にまた哀しくなってしまった。


ロメールの映画といえば、あの不思議な“間”とともに音楽もなく、ずっとしゃぺりっぱなしの映画、という印象が強くて、若き日々、レンタル店で借りてきたロメール作品のヴィデオの前でうとうとすることもしばしばであったが、『満月の夜』は、また別の意味で印象的な作品だ。


パリ郊外の不毛を描いたような佳作で、主演のパスカル・オジェをはじめズバリ80sなファッションや風俗も見どころだし、サウンドトラックがJACNOが手がけているのもすぐに思い出す点だ。



そう、話はにわかにスライドするが、去年の最も大きな訃報はJACNOのそれであった。
それは、彼が実際に会ったことのあるスター、という意味で、だけではない。
僕の個人的な音楽的嗜好・音楽的遍歴の場合で断言するなら、マイケル・ジャクソンの不在よりも、JACNOの不在の方がその後の音楽史に大きな影響がでるほどに意味のある存在だったかもしれない。
JACNOこそ、フレンチ・エレクトロの最もの「祖」なのである、と言ってフランスでは誰からも異論はないし、彼なくしてはDAFT PUNKはもちろん、ジャン・ミシェル・ジャールからMr. Oizoまで、フランスのエレクトロニック・ミュージック史はあり得ないほどだ。

フレンチ・ニューウェイヴ期のStinky Toysから、ソロ、Elli et Jacno期、LIOのプロデュース…と語るべきことは山ほどありそうだけれど、うまく言葉にできないから昨年後半はLe Baronでの選曲にこのJACNOからみの音をいっぱいかけておいた。

そんなエレクトロ・ミュージックの偉人の訃報は日本では一切目にしなかった(一昨年の同じ時期、Les Rita Mitsukoのフレッド・シシャンが亡くなった際もそうだった…)。自分の偏愛するフランス音楽の日本でのポピュラリティを考えれば仕方ないか。

どちらにせよ、もう十年以上も前になるある夜のJACNO氏からのレアールのブラッスリーへの突然の呼び出しは、まるで現実味のない現実として僕の思い出の中にしまい込まれてしまった。あのとき思いを強くしたJACNOの初期作品の全作品の完全リイシューへの夢は、権利元のクリア以前に、音楽商業を巡る昨今の状況では永遠に実現しなそうである。

今やその魂よ安らかに、と願うばかり。そしてそのエスプリがこれからもフランスの音楽界で永遠に受け継がれていってほしい、と願うばかりである。


あまりに訃報ばかり伝えているもんだから、なんだかこの僕のブログはずいぶんと「死の匂い」が漂ってきてるような気さえする。


もう本当に好きなアーティストたちってみんな死んでいくんだ。
ヴェルヌイユ通りのゲンスブールの壁を見るまでもなく、時代はどんどん「c'etait mieux avant (it was better before)」と言わざるを得ないし、ときどき僕は時代を間違って生まれてきてしまったんじゃないかと後悔することだってあるくらいだ。

この長らくの「国籍同一性障害」は別として、こんなうすっぺらい時代になってしまっては、「生きる時代同一性障害」さえ引き起こしそうなんだよ。
by cherchemidi | 2010-01-17 17:42 | monologue
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par 梶野彰一
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